光線の歴史(近代)

 

リックリーの日光療法所

近代の日光療法の先駆けはオーストリアのリックリー(18世紀中頃)から始まりその後、18世紀後半から19世紀にかけて近代的な発達をしていきます。
・1815年の医師コービンの記述。「クル病、壊血病、リウマチ、麻痺、腫瘍、水腫、筋力低下の治療に有効」
・1857年フローレンスナイチンゲールが病院の設計に日光療法を取り入れる。
・1877年イギリスのダウンスが紫外線の殺菌作用を明らかにする。
・1902年スイスのベルハントは結核性腫瘍の効果を報告。

ロリエ博士スイスアルプスに建てた日光療法所海抜1340m

・1903年スイスのロリエ博士はスイスのアルプスに大規模な日光療法所を作り結核の治療で多大な功績を残して、当時の欧州の外科医に衝撃を与えました。

人工光源の発明とノーベル賞

ニールス・フィンゼンの尋常性狼瘡病院で治療風景

1893年にデンマークのニールスフィンゼンが世界で初めて太陽光線と同じ連続スペクトルを強力に放射するカーボンアーク灯(フィンゼン灯)を考案しました。
フィンゼンは、それまで不治の病とされていた尋常性狼瘡(結核菌が皮膚を侵す病気)を専門的に扱う病院をオーストリアに開院し、光線療法を用いて予期した通りの治療結果を収めました。
この功績によりフィンゼンは、1903年にノーベル生理医学賞を受賞しました。

・1912年にフランスのラクツィンスキーは実験的に光線不足でクル病が起こることを明らかにした。
・1919年にベルリンのクルト・ハルトシンスキーは目に見えない紫外線がクル病を治す仕組みを発見した。

ビタミンDの発見

・1927年にローゼンハイムとウェブスターは植物中のエルゴステロールが紫外線の光化学作用でビタミンD2になることを発見した。
・1938年にドイツのアドルフウィンダスが紫外線によって皮膚下の7- デヒトロコレステロールが光合成されることでビタミンD3に変わることを発見し、化学式を解明した。この功績によりノーベル化学賞を受賞しました。
・1958年にイギリスのクレマーは、新生児高ビリルビン血症に及ぼす光線の影響を解き、可視光線の新生児重症黄疸に対する治療効果を報告した。この功績により、現在では、光線療法は新生児重症黄疸の掛け替えのない治療法として全世界で用いられ恩恵をもたらしている。

日本での歴史

フィンゼン・ライン灯

ジュピター灯

我が国において人工光線を初めて医療に応用したのは、東大皮膚科の土肥慶造博士が明治41年(1908年)にフィンゼン灯を小型に改良したカーボンアーク灯(フィンゼンライン灯)をもって皮膚病の治療を行っています。
その後、昭和初期には、一般家庭でも使える光線治療器(ジュピター灯)が出現し光線療法は家庭療法としても利用されるようになりました。

当時の医療は、現在の対症療法的考えは少なく、病気を身体全体として捕らえる治療法でした。そのため専門の光線療法病院も数多く建設され病気を治す効果的な手段として幅広く活用されました。
当初の機器は欧米からの輸入品でしたが、昭和7年に宇都宮義真博士が、東京光線療法研究所を設立して、現在の一部上場技術会社であるイビデン株式会社(当時のイビガワ電工)と研究開発を行い日本初の国産カーボンアーク灯が開発されました。
その後、度重なる研究開発により、機器の性能は高まり、現在では、更に進化を遂げ手動では難しかったカーボンの燃焼制御をコンピューター化することに世界で初めて成功し、誰もが簡単に取り扱えるようになり、現在に至ります。