どちらがよいか?

生涯を光線療法の研究に捧げた
日本の光線療法の父と呼ばれる
故 宇都宮 義真 博士

理想

薬や手術を初めとして、病気の治療法はたくさんある。光線療法もその一つである。中には神様に頼んだ方がよいと思っている人もいる病気の治療を乗り物にたとえたならば、同じ目的地に行くのに自分で歩いても、自転車でも、自動車でも、バスでも、電車でも、飛行機でも行けるようなものだ。ただ、川に流されて偶然に目的地に着くこともある。
治療の理想は、要するに何の治療が一番気持ちよく、安全かつ確実で、速やかに効くかである。その上、安価で簡単便利なら言うことはない。

せめて気持ちよく

病気の治療は刑罰ではない。苦い薬を飲んだり、針を刺したり、切って痛いおもいをさせたりせずにできないものだろうか?泣き叫ぶ子供を皆でおさえている姿は地獄もかくや、とおもわれるのである。だから『お医者様につれて行くぞ』と言えば泣く子も黙るのである。
病気の治療がもっと楽に、笑いながら愉快にできればと願うのは筆者ばかりではあるまい。

健康法にもなる

病気には効くが、反面身体に害があるというような方法ではプラスマイナスである。身体が丈夫になって病気が治るものでなければならない。初めから有害なことがわかっている麻薬や解熱剤を使わずに、痛みや熱に効く治療法が欲しいのである。

予防にもなる

薬や手術のように、病気になってからしか使えない治療法ではなく病気になる前に、予防効果のある治療法がもっと普及しなければならない。

何にでも

病気の正しい診断は予想以上に面倒で、従って誤診も多い。一般に誤診による誤った治療は至って有害なことは言うまでもない。もしも何にでもに効いて弊害のない治療法があれば安心である。

くせにならぬ

薬によっては、段々と分量を増やさないと効かなくなる。按摩の場合でも、強くしないと効かなくなる。善意に解釈すれば「くせ」になったのであるが、病気が段々と重くなっているのかも知れない。「くせ」にならず、病気を根絶する治療法でなければならない。

切らずに

手術はあまり気持ちの良いものではない。どうしてもやむを得ない場合は思いきって切るしかないが、切らずに治せるなら好んで手術する必要もあるまい。特に骨や関節の病気で手や足が曲がって動かなくなると、いかに病気の苦しみが軽くなったとしても不自由なためしばしば手術を勧められる。同じ治るなら、手足も元どおりに動かせるようになりたいものである。

簡単に

病気の治療は立派な設備のあるところでするのがいかにも、もっともらしくてよい。しかし手軽に簡単に治せるものを好んで大げさにする必要はない。まして自分の病気を自分で治せたらどんなに助かるかわからない。

光線療法はおおむねこの条件にかなっている。